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一身田寺内町の歴史

「一身田」(いっしんでん)は珍しい地名ですが、その由来には諸説あり、奈良・平安時代の制度で、政治上功績のあった貴族に対して特別にその身一代に限って与えられた田からきたとも、律令制度の「三世一身の法」で与えられた田からきたとも言われています。

人々がこの一身田に集落を形成し出したのは寺内町が生まれる前のことであり、それを示す最古の資料として、一御田神社(いちみたじんじゃ)の棟札に嘉吉3年(1443)という記録が残されており、そのころは農村集落であったと考えられています。

一御田神社棟札

一身田が大きく変わったのは、寛正5年(1464)、真宗高田派中興の祖真慧上人が、東海北陸地方の布教活動の中心として、この地に無量寿院を建立してからで、この無量寿院が現在の専修寺の前身です。
その後、栃木県の高田にあった高田専修寺が戦火にみまわれて、真慧上人が一身田に移って来たことで、一身田が高田教団の中心となりました。

一身田寺内町がいつごろ成立したのかは明らかではありませんが、天正20年(1592)の一御田神社の棟札に「寺内」という呼び方がみられることから、その頃にはすでに寺内町が成立していたものと考えられます。

16世紀の中頃までは、一身田寺内町は現在の区域の半分足らずの大きさでしたが、万治元年(1658)に津藩の2代藩主である藤堂高次の四女いと姫が専修寺の門主に輿入れするにあたり、当時の専修寺の西側の土地を寄進したことによって、現在の寺内町の形となりました。

明治時代になり、宗教団体が境内と墓地以外の寺領を持ち統治することを禁じる法律が制定されたため、専修寺も多くの寺領を失いました。そして、明治7年(1874)には、赤門・黒門・桜門の三つの門が全て売りに出されるなど、寺内町も大きく変わっていきました。
しかし、今もなお、一身田寺内町では専修寺を始めとする多くの寺院や古い民家などのたたずまいが、往時の面影を残しています。

伊勢参宮名所図会

『伊勢参宮名所図会』(寛政9年(1797) ※複数頁を合成

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